ジャニー喜多川氏のオキニは櫻井翔さんだったことがわかりました!
涙ながらにジャニー喜多川氏の性加害問題について言及されたことも話題になっていますね。
櫻井翔さんをオーディションで見出したのはジャニー喜多川氏で、嵐は櫻井翔さんが主役のグループを作る目的で結成されていたという驚きの事実も判明しました!
今回はそんな櫻井翔さんとジャニー喜多川さんとの関係について深堀りしていきたいと思います!
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櫻井翔を見出したのはジャニー喜多川氏だった!

櫻井翔さんは中学2年生の時に文化祭で周りから「かわいい!」「ジャニーズに入りなよ!」と言われたことがきっかけで
履歴書を自分で書いてジャニーズに送られました。
櫻井は中学2年生のときに下北沢のギター教室には通っていたと回顧。コードをいくつか弾けるようになったくらいだったが、履歴書の特技・趣味の欄にギターと書いたそう。オーディションでジャニー喜多川さんに「Youギター出来るの?」と質問されたときには「出来ます!」と答えたと振り返り、スタジオの笑いを誘った。
ググっとニュース
そしてそのオーディションで櫻井さんを見出したのが、ジャニー喜多川氏だったのです。
櫻井さんもその時のオーディションの様子を語られています。
「1995年の10月22日の日曜日でした。オーディションの会場に行った。100人近く人がいたんですけど、パイプ椅子を一通り並べ終えるとグレーの服を着た男性が振り返ると『私がジャニーです』と。オーディションを私1人で行っていたのでポカンとしましたけど、周りの子たちとご家族は『えー』と。ざわざわ、ざわざわ、と」と初対面を思い返した。「結果として、その100人近い人の中から私を見つけてもらったのが、この世界に身を置く、1番最初のきっかけ」
オリコンニュース
櫻井翔さんにとってジャニー喜多川氏は芸能界に入るきっかけを作ってくれた恩人なのですね。
櫻井翔さんはジャニー喜多川氏についてこのようにも語られています。
「100人近い人の中から僕を見つけてもらい、何十人といるジャニーズJr.の中から嵐として選んでもらった。本当に未来、人生を変えてもらった人。感謝の思いでいっぱいです」
オリコンニュース
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嵐は当初は櫻井翔が主役のグループだった!

そして、なんと嵐は櫻井翔さんが主役のグループだったといことがわかりました。
ある日、櫻井はジャニー氏から電話で「W杯バレーボールのイメージキャラクターやるんだけど、やらないか?」と話を持ち掛けられ、返事に迷っていると、「YOU、リードボーカルだから!」と言われたそう。これを受け、櫻井は「……じゃあ、やってみる」とグループ参加を決断したというが、二宮和也は「怖いね、ジャニーはね」と笑っていた。
また、櫻井は嵐結成前に作られ、デビュー曲の候補にも挙がっていた楽曲「REACH OUT FOR MY DREAM」について、櫻井は1人だけ特別な環境でレコーディングを行ったといい、「本当に俺、リードボーカルなのかな?」と期待したという。松本潤は、当時の櫻井の特別待遇を覚えており、二宮も「櫻井が主役のグループ作るから」とジャニー氏に言われていたとのこと。
サイゾーウーマン
リードボーカルを任されたり、他のメンバーとは違う特別な環境でレコーディングを行ったりと、
櫻井翔さんはかなり特別な待遇を受けていたんですね。
そもそも櫻井さんが主役のグループを作るために嵐が結成されたということにも驚きですね!
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ジャニー喜多川と櫻井翔の父親は会っていた!

櫻井さんの父親の櫻井俊さんは、元官僚の超エリートでも有名ですね。
そんな櫻井さんの父親とジャニー喜多川さんは面会したこともあったようです。
櫻井さんが嵐としてデビュー当初から、櫻井さんの父親は芸能活動のことをあまりよくは思われていなかったようです。
そんな時に櫻井さんのご家族揃って、櫻井さんが出演された舞台を見に来られた時のエピソードがありました。
’04年12月、松本潤や大野智らと共演した舞台『WEST SIDE STORY』を、桜井氏が観劇したときのことだった。
「たしか千秋楽の日に家族全員で見に来たんですよ。楽屋を訪ねてきて、そこで初めてジャニー喜多川社長と会ったらしくて、櫻井くんが“あ、これ家族です”“あ、どうも”みたいな。ジャニーさんと櫻井くんのお父さんとの間で、何となく微妙な空気があるわけですよね。
お父さんも寡黙な人で“芸能活動、反対”って、なんとなく想像がついたキャラクターのとおりで。芸能界とは対極の世界で働く人だから、しょうがないですけど」 (中略)
「櫻井くんはその変な空気の中でなんとなく気を遣ってか、“お父さん、どうだった?”っていちおう聞くじゃないですか。“いいんじゃない”ってひと言、お父さんが答えて。そこにこの家族の空気というか立ち位置が集約されているなって思ったんです。
東洋経済オンライン
2004年と言えば、調べると櫻井さんの父親の櫻井俊さんは総務省大臣官房参事官として働かれている頃でした。
そんな政界の大物とジャニー喜多川氏が、所属アーティストの保護者と事務所代表の立場として会っていたということにも驚きですね。
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晩年のジャニー喜多川と櫻井翔の関係は?

2019年7月にジャニー喜多川氏がくも膜下出血での入院が報道された時は、『news zero』(日本テレビ系)ではこのようにコメントをされました。
番組メインキャスターの有働由美子さんが櫻井さんに「櫻井さんは面会に行かれたんですか」と問いかけた。
櫻井さんは「救急搬送された翌日ですね、19日にメンバーそろって会いに行きましたし、その後も数回会いに行っています。当然我々嵐のみならず、先輩方、たくさんの後輩たちも、時間を見つけて面会に行っていますので、1日でも早く良くなるよう祈っているところです」と話した。
HUFFPOST
そしてジャニー喜多川氏がお亡くなりになった時は、このようなコメントを出されました。
「ジャニーズ事務所の一員として人生を歩むこととなるのも、人生を“嵐の一員”として歩むこととなるのも、ジャニーさんがいてこそです。いま、エンターテイメントの世界に身をおく全ての源泉は、あの日あの時に僕を見付けてくれたから。どうかゆっくり休んで下さい。眠っているかのような顔を見ると、ふと声が聞こえてきそうでした。本当にありがとうございました」
スポーツ報知
これらのコメントを見ると櫻井翔さんはジャニー喜多川氏のことをかなり慕っていたことが伺えますね。
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櫻井翔はジャニー喜多川氏の問題について涙ながらに言及

長い間、ご自身の言葉でジャニー喜多川氏の性加害の問題についてノーコメントを貫かれていた櫻井翔さんですが、
5日放送の日本テレビ「news zero」で初めて言及されました。
「この件について、自分の言葉でお伝えできればと思います。今回の件ですが、私には2つの側面があると思います」と切り出した。
「1つは今、問題の責任が問われている事務所に所属しているということ。そしてもう1つは大きな意味では自分は被害者側に見られうる立場に置かれているということ」と説明。「私にとって、この2つの側面を踏まえますと、コメントをすることは難しいと考えていました。今もまだどの立場でどうお話できるのか難しいのですが、お伝えしたいことの1つは、臆測で傷つく人たちがいるということです」と心境を吐露した。
「(中略)私自身、発言すること自体がまた臆測を呼び、広げ、無関係な人々まで傷つけることにつながるのではないかということを恐れています」と、時折言葉を詰まらせながら、目に涙を浮かべてコメントした。(中略)
そして「最後にあらゆる性加害は絶対に許してはならないし、絶対に起こしてはならないと考えています」
スポニチ
恩人と慕われていたジャニー氏のこのような問題にコメントできるようになるまでには、かなり様々なことを考えられたのではないでしょうか。
涙をこらえながら発言する櫻井翔さんからは本心から話そうとされる思いが伝わってくるようなコメントでしたね。
涙が自然とこぼれそうになることも理解できますね。
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ジャニー喜多川のオキニは櫻井翔!超特別待遇だった過去とデビュー当時や嵐結成の秘話も!まとめ
いかがでしたでしょうか?
ジャニー喜多川氏のオキニは櫻井翔さんで、櫻井さんにとってジャニー氏は恩人だということがわかりましたね。
今後櫻井さんの口から再びジャニー喜多川氏について語られる日は来るのでしょうか。
今後の展開が気になりますね。




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